ブログ
「先生って、人に興味がありませんよね」と言われたお話
意表を突かれた一言
先日、開院当初から不調を感じると来院される患者さんから施術中、不意に言われた一言。
「先生って、人に興味がありませんよね。」
・・・
決してネガティブな意味合いではない事は理解できましたが、意表を突かれた後の言葉はモゴモゴしてしまいました。
なぜそう思われるようになったのか少し考えてみました。
距離感の違いを知った3つの院での経験
人と接するためには距離感が大切だという事は、誰しもが実感することです。
その中で、今まで勤務させて頂いた3つの院は距離感をとる表現法が各々違いました。
一つ目は鍼灸接骨院だったため、患者さんとの距離を直接のコミュニケーションや笑顔ある表情で縮めていき、話し声や笑い声が絶えない現場でした。
施術に入る時間は1人当たり10分前後でしたが、ほとんどの患者さんとお話しながらの施術で、声が出ていないと院の共通語(暗号)で周囲の先生同士で注意をし合う程です。
慰安で済むならともかく、スポーツをされている患者さん中心で治ることを目的にされている方がほとんどだったので(当たり前といえば当たり前なのですが・・)、今思えばなかなかハードな現場でした。
院長だけは治療に集中するとしょっちゅう黙っていた事を私は見逃しておらず、ズルいな~と思っていた事は事実です。(数年前、飲み会の場でお伝えすると「よく観察しているな」と笑われました)
飲食店でいうラーメン屋の立ち位置でしょうか。
流行っているラーメン屋のイメージって活気がありませんか?
次にお世話になった鍼灸院は真逆で、言葉は極力いらない表現法でした。表情も鍼灸接骨院あがりの私からすれば、考えられない無表情であまりにも違う環境に戸惑いを感じ続けていました。
ですが鍼灸接骨院同様、患者さんは絶え間なく訪れ、患者さん自身の満足度は高く、術者との誇張しない会話のやり取りで安心される方も多かったです。
決して鍼灸接骨院のような活気はなくとも温かく心地よい空間でした。
これはコーヒー業界でいう少し前に、規模を追求するためにコーヒーの標準化を図り見事に成功を収めたスターバックスやドトールコーヒーなどのセカンドウェブではなく、今流行りの1杯1杯丁寧に人手で淹れ、個性と多様性の追求を図る日本の老舗喫茶店を見本としたサードウェイブのような立ち位置だったように感じます。
最後にお世話になったところは、一人の先生がされていたのでその先生の赴くままの雰囲気で、2つの院の間のような印象でした。
一昔前のファミレスのような感じでしょうか。
距離が近すぎるのも考えよう
このようにどこの院にも特徴があり、院の特徴にあった患者さんが自然と来院するため、開院する時の雰囲気づくりは、私も一番思案したところです。
今まで働いた活気ある雰囲気と、落ち着きある雰囲気をうまいことマッチさせて、自身の性格を考慮すると、患者さんが何でも話しやすいフレンドリーな院にしていく方向だなという結論に至りました。
その中で打ち出したのが、「当院での来院時間だけでもゆったりと自分の身体を見つめ直せるような空間をつくりたい」という漠然とした内容。
院内には14種類のパック茶を用意し、施術後はホッと一息ついて帰って頂く。
そんなイメージで開院した事を覚えています。
当時の施術時間は約1時間。開院当初は予約が詰まっている訳でもなく1人院なので自然とお茶を飲まれている間も、世間話や身体についての話が続きます。
そうなると自然と距離感は近くなり、1人の患者さんに対して深いところまで知ることも多々ありました。距離感が近くなれば患者さんにとっては通いやすくなるのでは?と思いますが、意外とそうでもないんです。
これは飲食店での実体験で良く分かりました。
コストパフォーマンスが最高のお店が2店舗あり、一つはカウンターのみ、私の訪れる時間は昼ピークを過ぎているので大抵貸し切り状態で店主さんとお話し放題。
もう一つはテーブル席が並び、店主は奥のキッチンで料理をされていて挨拶程度を交わすのみ。
店内のお客さんはまばらだが、思い思いに食べられる。
さてあなたならどちらのお店に行きたいでしょうか?
僕は両方とも大好きで訪れると必ず満足させてもらえるお店なのですが、無意識のうちにテーブル席の方に行く頻度が偏るようになりました。
距離感が近すぎるのも考えようです。
鍼灸院のように施術時間がマンツーマンの状態では、なおさらかもしれません。
間合いを意識して変化した事
最初の話には続きがあります。
その患者さんには特殊な能力があり、小さい頃から人がまとうオーラが色で見えるそうです。(職業柄、羨ましい。)
開院当初の私は施術が終わるたびに、グレーのオーラをまとっていたようです。
距離感が近すぎるゆえに、一生懸命さが先行し患者さんの「気」とやらをもらっていたのでしょう。
患者さんは症状が緩和するも、グレーのオーラを身にまとう私を見て逆に心配してくださっていたようです。
国家試験に合格し鍼灸師として働き始めた1年目、痛いと訴える首痛を施術する事で、患者さんの首痛症状が改善し、私自身の首が痛くなったとき、「患者さんの気をもらって僕が首痛くなりましたよ」なんて、先輩に誇らしげに語る自分がいましたが、開院1年目でまだその状態だった事を思うと恥ずかしい限りです。
気功などは一旦置いて、少なくとも鍼灸師が「気をもらう」というワードを口にする事自体がナンセンスであり、その時点で患者さんとの距離感が近すぎる事を証明しています。
ですが、2年目に入った辺りからそのオーラがピタッとなくなったとの事。
そのタイミングで出会っていたのが、活法と整動鍼でした。
古武術由来の活法・整動鍼は間合いを非常に重んじます。
詳細は過去のブログに譲りますが、とにかく患者さんとの距離感を改め直し、あん摩マッサージ指圧を完全に辞め鍼灸のみでやっていく決意をした後のことでした。
この患者さん、以前は当院ともう一つ違う院にも通われていたのですが、私の不穏なオーラが消えて以降は、当院のみの通院に変わったようです。これを聞いたのはつい最近。
患者さんも私たち同様、気遣いと距離感を大切にしてくださっています。
という事は、「人に興味がないと感じてもらえるまでに良い距離感を保てている」と捉えても間違いではないと勝手に納得する事にしました。
私自身、決して人に興味がないわけではありません。確かに人の名前や友人の仕事内容を聞いても翌日には忘れている事が多々ありますが、人と話す事は好きなほうですしあらゆる場面での人間観察や聞き耳もしょっちゅうです。他人の人間模様を推測・重ね合わせる行為は、好んでやっているといえます。
ですが1人1人に合わせた心地よい距離感を重要視するようになってから、人に対しての興味は敢えて程々にするよう心掛けています。
今は興味がないように思われるぐらいが、ちょうどいいとも感じております。
今年も症状が改善しながら、あと一歩が取り切れず再度悪化した患者さんに「こんなにしてもらっているのに良くならないのは私のせいです」と言われることがありました。
施術者として最も情けない瞬間です。
こちらの想いが勝手に先走り、症状の変化に対して一喜一憂し、想いが力みに変わってしまう結果、施術効果として表れないわけで原因は施術者側です。
こんな言葉を以後、患者さんに言わせない事が今の目標の一つです。
施術後のお茶も、以前は「さあさあ飲んで帰って」と言わんばかりの圧で声掛けしていましたが、サッと初診後に紹介する程度にとどめました。
するとま~皆さん清々しく次のご予約をとって帰られますね。
そもそも論で、お茶を飲みに来院している訳ではないですし、限りある貴重な時間をこれ以上同じ場所に使っている場合ではありません。早く帰宅してそれぞれの時間を過ごしたいのは当然ですよね。
今まで好意の押し売りをしていたんだなと反省しました。
飲まれて帰られる方も心地よく思い思いに飲まれ、私が次の患者さんの施術にあたれば、一言挨拶だけして帰られるようになり、結果以前よりもお互いが快適な空間を作れていると実感しています。
現在は日々の施術レベルの向上はもちろん、痒い所に手が届くような声掛けや所作を心掛けながら続けることで、滞在・施術時間、会話量も減っているはずなのに、患者さんは最初に決めた施術経過の目標までしっかり通ってくれる状況を生み出せています。
症状の変化に対しても、出来るだけ平静を装います。(心の中では「チョレイ!!」です)
超一流の二人も胸に秘めた闘志は同じでも喜びの表現法は違います。
心の中で言っておきながら、私の仕事の表現法は、卓球の張本選手の「チョレイ!!」ではない気がします。
どちらかというと早くも将棋界の伝説になりつつある藤井四段の冷静な喜び方でしょうか。
11連勝で「実力からすると、望外(ぼうがい)の結果」
※望外:望んでいる以上によいこと
20連勝で「僥倖(ぎょうこう)としか言いようがない」
僥倖:思いがけない幸運
28連勝という大記録を達成したインタビュー「連勝できたのは本当に幸運だったと思います」
語彙力が凄すぎて、私が聞いたことも使った事もない言葉もあり恐れ多いですが、こんな心構えで常に臨床に取り組んでいきたいものです。